平穏からは遠い

生まれてこの方、平穏に身を置けた事は一度限りとしてない。
だから、平穏を望む気持ちは強くあっても。
それと同じ位、諦めと言う静観さも持ち合わせているのだ。

(やっぱり……こうなると思った……)

ざわざわと騒がしいこの教室で、誰にも聞き届けられない溜め息をどんよりとした気持ちで吐いた。

(なんであいつなんかが、玖龍くりゅうさんと一緒にいた訳?)
(どう見ても、釣り合ってないよなー)
(ホントホント。しかも、琥浪こなみくんにもべったりだったでしょー?)
(ねぇー、分不相応にも程が有るって)
(あいつの名前、たしか黄麟寺こうりんじ……だったけ?)
(大層な名前だよねぇ)
(明らか名前負けしてんだろ)
(ははっ、言えてる)

こそこそと、ひそひそと、囁かれる。
気に入らないから。
自分よりも弱い者に見えるから。
そういう身勝手な理由だけで、その口が吐き出す言葉は悪意が込められて悪質になり、罵倒や差別に近いものになる。
本当に人と言う生物は自分勝手な生き物だ。
物心が付いてから今まで、しみじみと実感している。


無感動に見詰める視線の先には、こそこそと内緒話にもなっていない事を話し合うクラスメイトの姿がある。
視界の隅にはあからさまな程にチラチラと視線を向けているクラスメイトの姿が多数確認出来て。
正面にいる奴らは、視線こそ投げてはこないものの、こちらに意識が向けられているのがはっきりと解るぐらいだ。
微妙に緊迫した空気が流れてきて、居心地が悪い。

こうなった、事の発端は至極単純で明快なこと。

俺には、二人の幼馴染がいる。
その幼馴染と俺は、色々な諸々の事情を乗り越えて(もしくは握り潰して)きて、この高校に入学することとなった。
この高校は、所謂いわゆる一般校ではなく、それとは正反対と言っても良い特殊校だ。
それも……常識の範疇の特殊という言葉から遥かに突き抜ける程変わっている、特殊校である。
というのも、この学校は世間一般に通じる言葉で言えば……『魔法学校』なのだ。
それも魔法学校のなかでもこの日本でトップと言っても過言ではない、最高魔法教育研究機関である。
普通はこんな所に編入学出来る筈もないのだが……。
まあ、それぞれに色々と事情と言うものが存在するのでこの際置いておこう。

兎に角今こうして俺が多くの視線に晒され、針のむしろ状態になっているのは先に挙げた二人の幼馴染が主な原因である。
俺の幼馴染である玖龍翔くりゅうつばさと、琥浪壮樹こなみそうき
この二人は、誰もが皆、唖然、呆然と思わず馬鹿面ばかづらで見詰めてしまうぐらいの強烈なオーラを垂れ流していて、尚且つ……超美形なのだ。
けれどそんな二人に挟まれた俺は、何処をどう見ても一般人でしかない。黒髪、黒目に貧弱な身体つき。多少童顔だが、平凡の域から出る事も無い。
キラキラと光り輝く二人の間に、特に何の特徴もないそんな一般人Aがいたら誰でも、え?となるだろう。
勿論、そんな当たり前の事は誰に何を言われるまでも無く、俺自身が一番良く分かってる。
そして……。
人と言う生物は元来、身勝手なもので……。
あんな奴より絶対自分の方がマシ!……とか、思うようだ。
大変、結構なことで。

翔と壮樹の幼馴染でいられる事に嬉しさや劣等感は感じても、俺があの二人に相応しいとかそんなこと思った事も無いのに。
なのに、勝手に俺のイメージは好き勝手に作られ、噂がすごい速さで駆け回る。
全部が全部、勝手に尾ひれ背びれ付けられて捏造された、ただの噂だ。
けれど他人の不幸は蜜の味、と言うようにその只の噂に翻弄されたい人は多くいるんだろう。

こちらにしたら良い迷惑だけど。

この高校に編入して、俺がアレを隠したから多少意味合いは変わるものの。
俺に突き刺さる視線の数はそう対して変わらない。
好奇心、嫌悪感、嫉妬。……忌諱きいされていないだけ、少しはマシなのか。
相変わらず、平穏っていう言葉からは遠いみたいだ。

現実逃避をしていると、教室内が騒がしくなった。
何だ?と思っていたら……。

純斗すみと

ざわざわとした騒音ばかりの教室内に、一際良く通る声。
視覚には見えなくても、まるでモーゼの海割りのように、雑音としか認識していなかった空間を左右に割って真っ直ぐ抜けて、俺の耳に届いた。
鋭さを含んだ、耳触りの良い低音。
一瞬にして静まった教室の後ろ扉へと視線を向けると、モデルと言われても納得しそうな程の美青年が。
そう、つばさだ。
リノリウムの床をコツリ、コツリとローファーによる硬質な音を鳴らしながら、真っ直ぐな姿勢で近付いてくる姿は溜め息が出る程、格好良い。
まぁ俺の場合はさすがに慣れたもので、実際に溜め息など吐かないが。
クラスメイトの息を呑む姿や、目を凝らす姿、間抜けに開いた口を閉じるのを忘れている姿等々……。
……至る所に被害者多数って感じだ。
しん、と静まり返った教室に何の頓着もなく、翔は俺の隣の席へと腰掛ける。
そんな何気ない動作ですらも、嫌味にもならない程に決まり過ぎている。本当美形は得だ。
翔の場合は、英才教育の賜物でもあるんだろうけど。

他の奴など興味が無いとばかりに、俺に身体ごと向かい合って、視線を送ってくる。
翔が周りに興味内のは何時ものことで、今更俺もそれを注意したりなんてしない。言うだけ無駄だからだ。
仕方なく俺が何時ものように目線を合わせると、満足したように切れ長の目が細められる。
ダークブラウンの透き通った綺麗な目だ。ただその意思の強さに気後れする人もいるらしい。

(全く、あからさま過ぎ)

呆れるというか、変わらないというか、そんなバリバリに威圧感を醸し出さなくても……なんて思ったり。
仕方ないなぁ、なんて思っていたのが解ったのか、翔は片方の口端を器用にも吊りあげた。
様になり過ぎていて、嫌味にもならない。芸術品を見てる気分になる。

「今日はこの後の一時間で終わりだ。後は壮樹そうきの奴も連れて、寄ってくれだと」

新入生代表として呼ばれていた翔は、ついでに学校長から伝言を預かって来たらしい。
翔の言葉で大まかな内容を理解出来る辺り、幼馴染歴が長いんだなぁと実感する。

「そっか。まあ……妥当?」
「ハッ、どうだかな」

クラスメイトに監視されているような状況で、翔が事細かく事情を告げる筈が無い。
でもそこは、仮にも幼馴染な訳で……意志疎通に何の不自由も感じられない。
だからと言って普段、何もかも言葉にしなくても良い、と言う訳でもないけど。
言葉にしなければ伝わらない事は、たくさんあるから。